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我が{うぇっぶ教科書を考える会}は何を目指しているのか? それは昭和四十年代のあの日に立ち戻ってもう一度未来を考えてみませんか? という問いかけにある。 今の我が国の惨状の根本原因は経済的奴隷制の「プラザ合意」と自主思想の放棄の「近隣諸国条項」にあります。もちろん経済的奴隷制などという制度も言葉もありません。それは自主的な独立ではなく協調して経済運用を行おうとする条約の中身を裏から見た場合のことです。{協調}とは名ばかりの我が国を世界経済のATMとして活用していこうとするのに等しい内容なのです。また、近隣諸国条項はまともな人なら言っているように、我が国の歴史観を著しく歪めていると思います。この二つがまだ我が国になかった頃のあの日から今度こそ間違わないように舵取りをしたい。 左翼もいた右翼もいた百家騒乱のあの時代こそが、実は我が国の長い歴史をうまく表現していた時代なのではないでしょうか。あの古今和歌集の時代、柿本人麻呂は和歌を詠みました、たいして大津の皇子は漢詩を詠んでいました。和風文化を平民が洋風(中原)文化を皇室の一員が好んでいたのです。いつもいつも和風文化が好まれていたわけではなかったのです。それが我が国の文化風土なのです。あの昭和四十年代もまた、和風の勃興と同時に米国に代表される西欧文化の華々しい開花の時代でした。そして、それで良いのだ、それこそが我が国の数千年にもわたる文化風土なのだ、と思うのです。 大らかな歴史観に彩られたところなのです。中道保守ばかりではなく、中道左派も何なら(民族派を名乗るのなら)左翼も可と言えるほどの十分に許容できる、許容範囲が大きいところなのです。現在の世界情勢は我が国に対するあらぬ誤解が蔓延していて、それこそが常識だという風潮にさえなっています。残念なことに世界に飛躍し跋扈する嫌日君達の活躍には今のところ勝てそうにないのが事実なのです。「大虐殺?そんなモノは捏造だ」と最初から言い放っていては話しにならないのが現実なのです。あったと思いこんでいる人の話もまた許容範囲だ、と言えるくらいの大らかさが無ければ話し合い説得すらできないのです。許容範囲だと言うことと同意承認とは違うと思います。犯罪はあるのが現実でありその現実をありのままに受け入れざるを得ない、それは生きていく上での許容範囲、だからと言って泥棒を承認も同意もするつもりはありませんがでもいるんです、残念なことに。大虐殺も強制連行も日本国の国策として軍が計画的な実行した、などという夢物語を歴史として記述するのは間違いです。けれども、それらのことをまずは吟味してみましょうという姿勢から摺り合わせなければならない相手方はこちら側の数倍数十倍数万倍いるのです。 あの高度成長が止まりつつあった昭和四十年代後半の一時期のあの日にまで今一度立ち返って、そこから将来の間違わない舵取りを考えてみませんか?、これが{うぇっぶ教科書を考える会}の主張です。強固な意志を持った物腰柔らかく粘りっこい保守が必要なんです。左翼の意見を代弁できるほどの柔らかさがこれからの保守には必要だと思います。そして茶々入れを十分に受け止められるゆとりが必要なんです。真面目一直線ではいつか断ち折れてしまうと思うのです。 氏名:荒間宗太郎/H15/10/29(20:29)/No:94 |